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好きなドキュメンタリー映画作品
 その感想

 今まで観たドキュメンタリー映画作品の中で、特に気に入った作品の感想をご紹介いたします。今後も追加してゆく予定です。海外作品がなかなか観れないのが残念です。


「西陣」
 演出:松本俊夫 製作:京都記録映画を見る会
(25分、1961年、モノクロ、16ミリ、日本)

 京都の西陣織の世界を紹介するこの実験的なPR映画は、まず美しい伝統的な屋根のカットから始まる。京都の街並み、西陣織りのリズミカルな動き、そして職人を募集する貼り
紙、売り場の盛況ぶりと商談風景が時代の変化を告げる。労働組合結成などの問題をも取り扱い、業界幹部たちの話し合いを垂直に真上からとらえているのは批判精神に富んでいるが、このような作品を作り得たのもまた高度経済成長期の特徴だと思う。当時の多くのPR映画と異なっているのは、一つ一つのカットを噛み締めて吟味するために十分な、ゆったりとした流れで構成されていることである。モノクロの穏やかなショットに粘着質の押し付けがましさはなく、亀井文夫の「小林一茶」を彷佛とさせるものがあった。(2004/09鑑賞)


「ある機関助士」
 監督:土本典昭 製作:岩波映画製作所
(37分、1963年、カラー、16/35ミリ、日本)

 土本典昭監督のデビュー作品。機関助士を模した一人称のナレーションとともに、力強く走り抜けてゆく機関車、つまりは炭坑と同様に戦後の経済発展を牽引していた世界が明らかになる。5分の停車時間内に行われる車輪の点検と、事故を想定して発煙筒を振り回しながら爆雷を仕掛けにいく訓練の場面が、緊張感があふれて特に見どころだ。次々とやってくる風景と機関助士の表情とのモンタージュなど、高度成長期らしいモダニズムに富んだ映像構成である。同時代の多くの作品では時間を経るとその大げさな表現が見苦しくなることがあるが、この場合は今なお目を離せなくさせる魅力を持っている。(2004/07鑑賞)

「東京画」
 監督:ヴィム・ヴェンダース
(99分、1985年、カラー、16/35ミリ、ドイツ)

 強烈な色彩、バブル経済へと向かう時期の東京の姿が「外国人」である監督の視線で回想されてゆく。食品のサンプルを製造する機械的な動きなどは一見、典型に陥る危険性を持っているが、逆に過去に築かれた典型像へのアンチテーゼとして素晴らしい。オープニングとエンディングを小津安二郎の「東京物語」からそのまま引用しているユニークな作品で、対比された東京の衝撃は、ラスト近くで小津の記憶を語っていた厚田雄春カメラマンの「もう勘弁して下さい」といいつつ泣く姿に象徴的に表されている。しかし、その東京でさえも、現在ではまた劇的に過去となってしまった。(2004/04鑑賞)

「うつわ 〜食器の文化〜」
 演出:姫田忠義 監修:宮本常一 製作:民族文化映像研究所

(41分、1975年、カラー、16ミリ、日本)

 沖縄の真っ青な空の下、クバの葉を使った鍋から始まり、雪の北海道で木の皮を使った食器に至るまで、伊勢、輪島、岩手、唐津、と日本各地の「うつわ」が次から次へと紹介されていく。姫田氏自身が登場して食器を手にし、縄文土器を作って粟の粥を食べたりと、旅番組風のエンターテイメント性に富んでいて飽きさせない。単にものを受けるための道具であるが、映像はその種類の多様さと同時に、背景にある自然の姿をも伝え、文章では難しい生々しい風土を示すことに成功している。純粋な感動はもちろんだが、古今東西のものを取り上げており考えるきっかけづくりとして最適で、学校の教材として用いるのにも最高の品質ではないかと思う。(2004/01鑑賞)

「SELF AND OTHERS」
 監督:佐藤真 製作:ユーロスペース
(53分、2000年、カラー、16ミリ、日本)

 夭折した写真家・牛腸茂雄の写真集から題をとり、彼の足跡を写真とともにたどる作品。監督自身が言う「イメージ」の世界に徹底的にこだわったもので、あらゆる面において、土着の風土を題材とした「阿賀に生きる」と同じ監督が撮ったとは思えなかった。牛腸のモノクロームの写真と、現在のカラーの映像が交錯し、他者との関係、を軸にして一写真家の姿が明らかにされていく。牛腸が撮影した、8ミリと16ミリフイルムによる実験映画が2本ほど挿入されるが、特に街を撮った8ミリ映画は、映画と写真とをつなぐ橋の役割を果たしている。彼の写真と全く同じ視線が用いられているように感じるからだ。すなわち、写真を鑑賞しているのと同じ時間が、映画と写真との関係を深く考えさせる、希有なドキュメンタリー映画だった。(2003/11鑑賞)

「コガヤとともに」
 演出:姫田忠義  製作:民族文化映像研究所
(54分、1996年、カラー、16ミリ、日本)

 民族文化映像研究所の作品はまだ十本も観ていないが、その中で最も気に入った作品だった。これまでは記録に重点が置かれていたが、この作品では表現が成熟し新段階に達していた。ナレーションではなく、姫田氏自らが対談形式で語っているのも、疑問が疑問として率直に現れていて、隠れがちになってしまう作者の考えがつかめて良かった。さらに、斜面を高速で駆け下りるコガヤの束の上にカメラを据えて撮る等、斬新な方法で、エンターテイメント性も含みながら、コガヤとともにある白川郷の生活を紹介していた。(2003/9鑑賞)

「ルポルタージュ・炎」
 監督:黒木和雄  製作:岩波映画製作所
(40分、1960年、カラー、35ミリ、日本)

 横須賀の火力発電所建設の記録による電力会社PR映画。あらゆる都会的な風物のハイテンポのモンタージュにより、電気がいかに現代の生活を支えているか、強烈に示しているシークエンスが印象的だった。また炎の前での祭りのような激しく幻想的なダンスや、手書きによる発電所構造の解説など凝った演出がされており、モダニズムの固まりである当時のPR映画の、代表的な手法を集めたものであるといえる。それらPR映画は、現在から観れば大げさな表現の不自然さが目立つものが多いが、この作品は今なお色あせることのない前衛性を保っている。これを観て、PR映画がやたらと作りたくなってしまった。
(2003/9鑑賞)

「信濃風土記より 小林一茶」
 演出:亀井文夫  製作:東宝文化映画
(27分、1941年、モノクローム、35ミリ、日本)

 日本のドキュメンタリー映画史上に刻まれる名作。長野県の観光PR映画として製作されたものだが、その目的を大きく逸脱して、実験的な表現が試みられている。一茶の俳句と、白井茂の落ち着いた映像との組み合わせ、つまりは文学と映画という異なったメディア同士のモンタージュに成功している。「やせ蛙 まけるな一茶 ここにあり」の句と、困難に立ち向かう農民の映像との組み合わせの部分では、ズームや字幕のアップなどを行い、切迫感を出しているのが現代的で驚かされた。
(2003/8鑑賞)

「新野の盆踊り・神送りの行事」
 演出・製作:野田真吉 自主製作
(37分、1991、カラー、16ミリ、日本)

 長野県・新野の盆踊りの模様を、飾り気なく映し続けた作品。時々簡単な説明が字幕で表示されるほかは、ナレーションもなく、インタビューもない。近年公開されたロシア映画「エルミタージュ幻想」のように、誰か別の世界の人間が、異空間に迷い込んでしまったような視線で、祭りをとらえている。通りで踊っている人々の姿を、固定の画面のまま延々と作品に使っている所など、これまでに考えてきたドキュメンタリー映画の形式概念を、徹底的にぶちこわしてしまった。エンディングでは、フェードアウトして真っ黒な画面になってからも踊りの曲だけは何分も響いていたりして、むしろ実験映画の要素が強いのではないかと思う。(2003/6鑑賞)

「WATARIDORI」
 製作・総監督:ジャック・ベラン
(99分、2001、カラー、35ミリ、フランス)

 渡り鳥を徹底的に、ひたすらに追いかける作品。とても実写とは思えない迫力ある映像が続く。空を飛ぶ姿を、数メートルの間近な距離から並走して写した場面が多くて、どう撮ったものか謎だったが、新聞記事によるとヒナの頃から人間に慣らし、軽量の特殊な飛行機で撮影したという。こうした演出は、鳥でのいわゆる「やらせ」かも知れないが、そんなこともふっ飛ぶような、爽快な映像だった。一方で、途中で力つき、蟹に襲われる様子は、悲劇的ドラマとして迫力があった。ほとんどの映画の場合、エンディングになると鑑賞中の疲れがどっと押し寄せるが、この作品ではもっと観たくて、終わるのが寂しかった。外国の映画には疎いが、こうしたダイナミックな作品を創れる環境があるのはうらやましい。
(2003/4鑑賞)

「一〇〇〇年刻みの日時計」
 監督:小川紳介  製作:小川プロダクション
(222分、1986、カラー、16ミリ、日本)

 ドキュメンタリー、ドラマといった位置付けを止揚し、日本の一農村の歴史をダイナミックに構成する壮大な作品。日の入りに始まり、稲作の紹介に続いて、やがて村の歴史の再現ドラマへと発展していくなかで、映画が、村の歴史の中に入り込み、積極的な介入者として人々とともに歴史を再現し始める。再現ドラマでは土方巽のおそろしい演技力の一方、村の人々のぎこちない演技が、逆に、告発者のように鋭く喰いかかってきた。ミクロとマクロ、現在と過去がいり乱れ、日没のカットで終わるのだが、まるでひとつの生物の一生を見たような儚い気持ちにさせられた。ここでドキュメンタリー映画は、観察者であることをやめ、劇映画との区別を拒み、歴史と共に小宇宙を構成する意志を持ったのだと思う。
(2003/3鑑賞)

「神の子たち」
 監督:四ノ宮浩  製作:オフィスフォープロダクション
(105分、2001、カラー、16/35ミリ、日本)

 フィリピンの巨大なゴミ捨て場で生活する子供達を撮ったドキュメンタリー。前作「忘れられた子供たち」でも同じ場所で撮られたが、大きく変わっているのは演出を抑制したところで、現実の出来事に対するスタッフの感情と、観客との感情との差異をできるだけなくすようにしている。報道写真家のロバート・キャパは「もしよい写真が撮れないとすれば、それは近付きが足りないからだ」と述べているが、この映画では、撮影者たちはいつでも子供達の近くにいる。そして背景はいつでも、飽きるほどのゴミの山ばかりだ。(2003
/3鑑賞)

「ギフチョウと生きる郷」
 演出・製作:能勢広、矢島仁 
(22分、2001、カラー、16/35ミリ、日本)

 神奈川県の丹沢に生息する、天然記念物のギフチョウの保護をめぐるドキュメンタリー。ギフチョウの生態に迫っただけでなく、里の四季も美しく納められていて、自然科学のみならず人文科学的、社会科学的アプローチもされているところがすばらしい。またギフチョウについても、食の様子が微速度撮影でコミカルに捉えられていたり、蛹のレントゲン撮影や移動エリアの分析もあり、生態に関する情報も申し分ないし、特になめらかなナレーションが心地よかった。驚くべきことに自主映画として撮られたそうだが、フイルムだけにしかできない技術を最大限に生かした作品だと思う。(2002/8鑑賞)

「にっぽん零年」
 演出:河辺和夫、藤田敏矢 
(75分、1969、モノクロ、35ミリ、日本)

 土本典昭や小川紳介の学生運動ものにも言えることだが、この時代の蒸すような熱さが伝わってくる。夏の夜の、暴力的な、うっとうしい湿っぽい熱気だ。オープニングに、ニュースの断片カットが洪水のように押し寄せてきて、映画は始まる。形而上的な事柄を語る若者は沸騰するやかんのようである。広島の被爆女性は、激しい怒りを、逆に押さえ気味に語る。ひとつの時代にある、それぞれの感情を知る手段は色々あるが、表情や声が持つ迫力は、時代へのどんな先入観をも打ち砕くのではないかと感じた。記録としてのドキュメンタリーの価値は、三十年の時を経てさらに熟成してゆく。(2002/7鑑賞)

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●番外編

「神奈川ニュース」
 製作:神奈川ニュース映画協会
(4分、毎月製作、カラー、35ミリ、日本)
※神奈川県内の主な映画館で映画前に上映

 日本で唯一残っている、定期ニュース映画。ドキュメンタリー映画ではないが、とても好きだ。神奈川県内の出来事が映画館の大スクリーンの上に展開されるわけで、ビデオに慣れてしまった現代ではそれだけで新鮮だ。動物園の紹介や、市民のイベントなど、身近な風物がフイルムで映されるとまるで違った印象を受ける。非現実を強調する劇映画と、現実の生活とをつなぐような役割だろう。かつてのニュース映画の特徴をほぼ残しており、古臭いというような次元ではなく、もう芸術の域に達しているのではないかと思う。今後も末永く残ってほしい。


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